チャンバラっていう言葉、もう死語になっていますかね。
でも、響きが子どもにピッタリで好きなんです。
個人的には。
今風に言えば、戦いごっこって感じですかね。
先日、息子が男の子の友達と遊んでいる様子を見ていました。
いろいろな遊びをするんですが、一番楽しそうなのは?
鬼ごっこ!
そう!鬼ごっこなんですね!
タイトルと全然違うんですが、ここから本題につながっていきますので。
面白いのは、男女が混じった鬼ごっこだと大方鬼ごっこに沿ったルールが守られています。
が、男の子だけ、しかも人数が少なめだと「チャンバラ」要素が入り込んでくるんです。
それくらい男の子ってチャンバラが好きなんだなぁと思います。
(自分も子どもの頃を思い返すと、木の棒とか好きだったなぁ、振り回してたなぁという感じです。)
さて、話を戻して、息子たちがダンボールで作った手作りの剣で遊んでいる姿を見て思ったこと。
自然とそういう遊びに流れていくということは、やっぱり「性差」ってあるんだなと思います。
娘はまったく興味を示さないし、むしろ嫌がっている感じです。
最近、ジェンダーの話題がメディアでも頻繁に取り上げられるようになりましたが、ちょっと違和感を感じます。
「機会」を平等にするというのは異論がありません。
しかし、「対応の仕方」は平等ではないと思います。
男らしさ、女らしさという性差は生物学上当然あるわけです。
だから、教育や子育てにおいてもそこはしっかりと教えるべきじゃないかなと。
・女の子は男の子に比べて力が弱いことが多いから、「優しく」しよう!とか。
・やっぱり腕力が強いのは男、だから女の子を「守って」あげよう!とか。
・女の子なんだからあまり乱暴な言葉は使わないようにしよう!とか。
ただし、いろんな方がいるのも事実。
少数派の方々を黙殺するかのような言動は良くない。
上記のような「男らしさ」「女らしさ」を大事にしつつも、「そうじゃない人もいる」ことが前提で求め過ぎないことが必要なんじゃないかなと。
これは自分の考えなので、反対の方も多いかもしれません。
男はこうあるべき、女はこうあるべき、という性差に基づいた教えはあった方がいいです。
男はコレを、女はコレをやるべきみたいな社会システムはダメですけど。
その上で、「(男は、女は)こうあるべきだけど、そうじゃない人もいるよね。まあ、それはそれでいいじゃない。」という求め過ぎない感覚が大事なんじゃないかと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。