「三歳児神話」や「三つ子の魂百まで」はやっぱりあるのかな?

日常の何気ない話題

先日、妻と二人で夕方の散歩にでかけた。

二人の子ども達はジジババと出かけてしまったから。

最近こういうのが増えた。

ジジババが誘うこともあるが、子ども達から誘う場合もある。

二人きりになってしまうと、友人が言っていたように、まるで「老後みたい」。

別に悪い意味で捉えているわけでなく、もうここまで成長してきたんだなぁという感慨深い思いが大きい。

二人で何気ない会話をしながら2時間弱。

「二人の時は、こうやって呑み屋を探していたよね。」

とふらふらしたり、

「この場所は、歴史的に見てこういった場所だったんだ!」

と写真を撮ったり、

「新しいお店!覗いてみる?」

と外から覗いてみたり。

その中でも、ハッとさせられた一言。

妻「よく考えたらさ、私、18で上京してきたから、それと同じように考えると、〇〇(長女)と一緒に暮らせるのはあと10年ってことなんだよねぇ。」

この8年、振り返ると早かった。

だから、あと10年という数字を聞いて、その数字以上に短く感じることは理解できた。

子育てって大変だけど、実際はあっという間なのかもしれない。

ここ最近、子育てしている感が薄れてきている。

もちろん、子育ての定義は広いしまだまだ続くのだろうけれど、薄れてきているのは確か。

おそらく、子ども達の自立が始まってきたからなんだと思う。

教育の目的は「自立」。

ある本にそう書いてあった。

少しずつ親である、私達の手を離れ、自分たちで学び自分たちで行動しつつある。

そうなると、手もかからなくなるし、こうやって夫婦二人の時間も生まれる。

いつから自立が始まったのだろう?

そんな疑問を深堀しながら散歩をしていると、やっぱり3~4歳位じゃないかという意見で一致した。

それくらいの年齢で、子どもだけで実家にお泊りしたり、両親なしでジジババと宿泊付きの旅行にでかけてた。

両親から言われて泊まったわけではなく、それが自分たちの意思で行動したことも大きい。

だから、「三つ子の魂百まで」とか「三歳児神話」みないなものは、やっぱりあるのでは?と思ってしまう。

今日は、何となく感じたことを話題にしてみました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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