それぞれの家庭には、それぞれの大事にしていることがあることでしょう。
・我が家は、ゲームは買わない!
・食器は必ず下げる!
・お風呂に入る前に部屋を片付ける!
・テレビやゲームは、宿題をしてから!
・ソファでは、物を食べない!
こんな感じのものはどこの家庭にもあると思います。
が、こういったものはどちらかというと家庭のきまりみないなものじゃないでしょうか。
今回の「大事にする」というのは、もはや死語となりつつあるとは思いますが、「家訓」に近いものじゃないかなと思います。
別にどちらでもいいじゃない!という考えもあることでしょう。
でも、そういったらおしまい!
思考停止です。
日本語がどんどん死んでいってしまいます。
やっぱり「きまり」と「家訓」(のようなもの?)は、ニュアンスが違います。
きまりは、物事を円滑に進めるために必要な守るべき事項。
家訓は、家族が生きていくために大切にしていきたい美学。
と、私は考えています。
と言っても、昔からそう考えていたわけではなく、子育てをしてきて、こうやってブログを書いているうちに整理してきた考えです。
今回のタイトルは「家族で食卓を囲む」ですが、これは非常に大切な考え方かなと思っています。
食卓を囲むことをきまりにするのは、何か変な感じがするので、やっぱりこういったことは「家庭で大事にしていること」、つまり家訓のようなものの方がしっくりとくる気がしませんか?
異論がある方もいるとは思いますが、ここは個人のブログなので、「ふ~ん、まあそうは思わないけどねぇ。」くらいで読み進めてください。
家庭というのは、社会の中での最小の単位でありながら、もっとも強力な相互補助集団です。
もちろん環境はさまざまなので、例外もあるのは承知しています。
価値観が多様化している中で、家庭の在り方も多様化している現実も理解しています。
それでも、どの家庭にも共通すべき大事なことはあると思います。
その一つが「家族で食卓を囲む」だと思います。
なぜかというと、食卓は会話を生むからです。
食事という共通の行動を通して、食の話題が始まり、今日のそれぞれの話題に発展し、今後の未来を語る場になっていきます。
会話を通して、子どもの小さな変化にも気が付くことができます。
ええ~?そんな会話にならないよ~。
という家庭もあるでしょうか?
それは、きっとコミュニケーションのこつを押さえれば大丈夫。
それは、次回にしますね。
今回は、家族で食卓を囲むことの大切さ。
さて、会話を生むこともとてもいいことなんですが、最も重要なことがあると、私は思っています。
それは、「命の有難み」を伝えることです。
この国では、よっぽどのことが無い限り、美味しい食事をとることができます。
あまりに当たり前になり過ぎて、我々はついついそのことを忘れがちになってしまいます。
だからこそ、家族で食卓を囲んで「おいしいね」「幸せだね」「有り難いね」などの言葉を意識的に使うのです。
子どもが自発的にそういった「命の有難み」を感じることもあるのかもしれませんが、そういったことを経験的に理解することは難しい環境です。
だから、日々の食卓の中のコミュニケーションが積み重なって、少しずつ理解できることなのではないかと思います。
ルールという縛りでなくても、我が家は「家族で食卓を囲む」んだ!
それを大事にするんだ!
まずは、そうやって声に出して、実践してみませんか?
食卓でのコミュニケーションは子どもの能力もアップさせますよ!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。