「我が子は一番自分に近い他人ですよ。」
以前、そう言っている人がいて、自分としては、他人という表現はどうかなと思っていました。
ちょっと冷たい感じもするし、そもそも血がつながっているんだから他人は無いでしょ、と。
でも、自分が親になって色んな親子に接する中で、ふとその言葉がよみがえってくることがあるんです。
我が子のやることに口を出し過ぎたり、我が子の行動や短所をやたら気にしたりする親御さんがいます。
こうした親御さんを見るたび、ちっとだけこうした考えも必要なんじゃないかなと思うようになりました。
まるで、親の言いなりになれと言わんばかりの言動。
その裏には、我が子への期待が多分に含まれているからだと考えられますが、子どもだって一人の人間。
もちろん、子どもの思考力や判断力は大人に劣ることはありますが、それなりに自分の意見を持って、そして行動している面もあります。
だから、失敗なんてものも、親が口を出さずにいて、自分で経験をさせるというのも大事なんだと思います。
痛い経験から、自然と子ども自身が学んでいく力をもっています。
我が子のマイナス面を自分と重ねてしまい、どうしても修正したくなる。
我が子に限って、そんな失敗をさせたくない。
これは親になったらわかる気持ち。
どこか、我が子は他の子と違って良くなる!って考えを持っているんですね。
自分も含め。
子どもの失敗や痛みは自分自身。
そう思い込んでしまうと、我が子をコントロールしたくなってきてしまう。
もっと怖いのは、コントロールしようとしている自分に気が付いていない状態。
そうすると、言動が命令口調になり、指示が多いコミュニケーション形態になる。
だからこそ、
「我が子は一番自分に近い他人ですよ。」
という考えは、1ミリくらいはもっていていいのでは?と思うわけです。
自分も肝に銘じておきます。
子どもであっても一人の人間。
成長と共に、自分で決めるという機会を増やしていこう。
失敗は子ども自身のせい。
親はそれを受け入れ、慰め、また立ち上がれる状態にしてあげられる環境づくりをする。
どこかしら、我が子から「他人」的な要素を取り入れ、一歩引いて見られるようにする。
そんな絶妙なスタンスは言葉では表現できないので、ちょっとでも共感できた方は実践してみて下さい。
そして、是非感想を聞かせて下さいね!
今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。